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『古事記』「オオトシガミ」の系譜
この国の国作りを振り返りましょう・「イザナギ」と「イザナミ」による国生み
・高天原で乱暴を働き追放された「スサノオ」による「ヤマタノオロチ」退治
・「オオクニヌシ」と「スクナヒコナ」「オオモノヌシ」による国作り
「イザナギ」と「イザナミ」
の国生み
「イザナギ」と「イザナミ」はまだ脂や海月(クラゲ)のような所に国土を生み出すところから始めました。しかし「カグツチ」という火の神を産んだことで「イザナミ」が死んで「黄泉の国」に行ってしまいます。
2神による国生みは終わりました。
「イザナギ」は三貴子を誕生させ、
自身は滋賀に隠居したとされています。
「スサノオ」による「ヤマタノオロチ」退治
乱暴を働いたために高天原から追放された「スサノオ」は出雲に降り立ち「ヤマタノオロチ」を退治するなど、地元の英雄となります。宮を建てますがその後「根の堅洲国」に行ってしまいます。
「オオクニヌシ」による国作り
兄弟たちからのいじめに遭い「根の堅洲国」に逃げ「スサノオ」に助けを求めた「オオクニヌシ」は「スセリヒメ」と駆け落ちをします。その時「スサノオ」から「国作りを完成せよ」と言われます。
「オオトシガミ」の系譜
「オオトシガミ」は「スサノオ」の子であり、稲荷神「ウカノミタマ」の兄弟です。
「オオトシガミ」とはどんな神か
漢字で書くと「大年神」です。「年」は祈年祭(トシゴイマツリ)のトシで、豊年を司る霊力を象徴する神です。
「ウカノミタマ」同様「古事記」に記述は少ないものの民間信仰によって「お正月様」「恵方神」などと呼ばれ広まりました。
お正月の飾りや行事などは元は「オオトシガミ」を祀る風習から来ているそうです。
「オオトシガミ」の子孫
「古事記」には「オオトシガミ」と3人の妻との間の16人の子と8人の孫が記載されています。
上の系譜には3人の妻と主な子供と孫だけ載せました。
その中には朝鮮系の名前の子、カマド(台所)の神、比叡山の守護神となった神々もいます。
また、「オオトシガミ」の息子「ハヤマトカミ」が「オオゲツヒメ」と結婚して産んだ子たちは農業神や宅地、土の神となりました。
「スサノオ」に食べ物をお願いされ、口や尻から食べ物を出したために
「汚い!」
と怒られ殺された「オオゲツヒメ」とこの「オオゲツヒメ」が同じ神かは不明です。
同じであれば、殺されてから子供を産んだということになります。
(神話なので、それもありです。)
はるさん的補足
なぜここに「オオトシガミ」の系譜があるのか
「オオトシガミ」が「古事記」に登場したのは「スサノオ」の系譜でした。
その時は名前だけの登場で、その後「古事記」は「オオクニヌシ」の話しが始まり「オオトシガミ」は全く出てきません。
「オオクニヌシ」は「スサノオ」の6代子孫です。
ですから何故「オオクニヌシ」の国作りが終わった後に「オオトシガミ」の系譜があるのか不思議ではないでしょうか。
ここまでは「スサノオ」の物語
「スサノオ」が末裔である「オオクニヌシ」に国作りの完成を命じました。ですから、「オオクニヌシ」の国作りの完成までは「スサノオ」の物語だと解釈することができるのです。
「スサノオ」の国作り物語終了
また「オオトシガミ」「ハヤマトガミ」は「オオクニヌシ」の系統ではありません。本居宣長は「古事記伝」で
「オオクニヌシ」の系統でない2神の系譜を載せたということで 「スサノオ」の物語をここで閉じたのだと解釈しました。
こうして「スサノオ」と共に「国作り物語」も終わり「国譲り神話」に突入していくこととなります。
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
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