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「ヤマタノオロチ」を成敗した「スサノオ」は「クシナダヒメ」と共に宮探しをします。
そして
「清々しい気分になった」
と言って出雲の須賀という場所に宮殿をお造りになりました。
『日本神話タロット 極参』
『日本神話タロット 極参』棒ノ玖
根の堅洲国についたスサノオは、生きている中で初めて清々しい気持ちになり、
「ここを安住の地にしよう。」
と見晴らしが良いように、高い場所に宮を建てました。
そこでスサノオは日本で初めての和歌を歌います
八雲立つ
出雲八重垣
妻籠に
八重垣作る
その八重垣を
ここで妻クシナダヒメと子をもうけ、暮らしていこうと決心しました。
(「根の堅洲国についた」とありますが、出雲のどこかに「根の堅洲国」があるという解釈があるのでこのような表記になったと思います。
「古事記」ではまだこの時点では出雲にいることとなっています。)
参考記事
そこで「スサノオ」は和歌をお作りになりました。
八雲立つ
出雲八重垣
妻籠に
八重垣作る
その八重垣を
垣をめぐらした宮殿が出来上がると、「クシナダヒメ」の父「アシナヅチ」を呼んで
「お前を私の宮の首長にしよう」
と言い
「イナダノミヤヌシスガノヤツミミノカミ」という名前をつけてあげました。
婚礼にあたり、湧いている雲が自分達への結婚の祝福として受け取り、妻を大切にする決意を表した歌です。
「八雲立つ」というのは出雲にかかる(出雲をほめる)枕詞です。
この時代、和歌は今よりずっとゆっくりと歌い上げる物でした。
4句目の「八重垣作る」は「結婚する」という意味です。
結婚を強調するためと 調べをなめらかにし、快いリズムを作るために「八重垣」を3度繰り返しているのでしょう。
また「八雲」「出雲」と韻を踏んでいるのも謡いとして歌うための工夫でしょう。
この歌は神々が結婚の儀式の際に歌って来た物を地上において「スサノオ」が確立したというのです。
その説を書いたのは紀貫之です。
紀貫之は「仮名序」の中で、
と述べています。
すなわち、似たような詩や祝詞的なものは高天原で婚礼の時に唄われていたけれど、わかりやすい言葉でリズム良く31文字で歌い上げたのが「スサノオ」だったというのです。
この歌が古くから愛され研究されて来たことがわかりますね。
「スサノオ」が作ったか、改良したのかはわかりませんが、調べが滑らかでリズムのよいこの和歌、声に出して読みたいですね。
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(37) 『日本神話タロット』ワンド9「日本最初の和歌 八重垣」
これまでのあらすじ「ヤマタノオロチ」を成敗した「スサノオ」は「クシナダヒメ」と共に宮探しをします。
そして
「清々しい気分になった」
と言って出雲の須賀という場所に宮殿をお造りになりました。
『日本神話タロット 極参』
ワンド9
「日本最初の和歌 八重垣」
棒ノ玖(ワンド9)の意味
・正位置
才能の開花、最善を尽くす、努力の結果
・逆位置
試練、逆境、離反、
『日本神話タロット 極参』棒ノ玖
「八重垣」の解説文(写し)
根の堅洲国についたスサノオは、生きている中で初めて清々しい気持ちになり、「ここを安住の地にしよう。」
と見晴らしが良いように、高い場所に宮を建てました。
そこでスサノオは日本で初めての和歌を歌います
八雲立つ
出雲八重垣
妻籠に
八重垣作る
その八重垣を
ここで妻クシナダヒメと子をもうけ、暮らしていこうと決心しました。
(「根の堅洲国についた」とありますが、出雲のどこかに「根の堅洲国」があるという解釈があるのでこのような表記になったと思います。
「古事記」ではまだこの時点では出雲にいることとなっています。)
参考記事
「古事記」におけるこの部分
「スサノオ」が須賀宮をお造りになったとき、その地から雲が立ち上りました。そこで「スサノオ」は和歌をお作りになりました。
八雲立つ
出雲八重垣
妻籠に
八重垣作る
その八重垣を
垣をめぐらした宮殿が出来上がると、「クシナダヒメ」の父「アシナヅチ」を呼んで
「お前を私の宮の首長にしよう」
と言い
「イナダノミヤヌシスガノヤツミミノカミ」という名前をつけてあげました。
日本最初の和歌
「スサノオ」が詠んだ歌が「日本最初の和歌」と言われています。和歌の意味
妻を守るために宮にいくつもの垣を作ったが、その八重垣をめぐらせたように、出雲には雲が幾重にも湧く婚礼にあたり、湧いている雲が自分達への結婚の祝福として受け取り、妻を大切にする決意を表した歌です。
「八雲立つ」というのは出雲にかかる(出雲をほめる)枕詞です。
「八重垣」が繰り返される理由
この歌で3回も「八重垣」という言葉が繰り返されています。この時代、和歌は今よりずっとゆっくりと歌い上げる物でした。
4句目の「八重垣作る」は「結婚する」という意味です。
結婚を強調するためと 調べをなめらかにし、快いリズムを作るために「八重垣」を3度繰り返しているのでしょう。
また「八雲」「出雲」と韻を踏んでいるのも謡いとして歌うための工夫でしょう。
はるさん的補足
「スサノオ」が作ったとされるこの和歌は天地開闢(テンチカイビャク)の時からあったという説があります。この歌は神々が結婚の儀式の際に歌って来た物を地上において「スサノオ」が確立したというのです。
その説を書いたのは紀貫之です。
紀貫之は「仮名序」の中で、
この歌は天地開闢の時に発生した。
「八雲立つ」とは天の浮橋の下で夫婦の神となられたことを言った歌である。
地上においては、短歌は「スサノオ」より確立したのである。
神代には歌の文字数も一定せず素朴すぎて、詠まれた言葉の真意がわかりにくかったらしい。
人の代になって、この「スサノオ」からは31文字の歌を詠んだのであった。
「八雲立つ」とは天の浮橋の下で夫婦の神となられたことを言った歌である。
地上においては、短歌は「スサノオ」より確立したのである。
神代には歌の文字数も一定せず素朴すぎて、詠まれた言葉の真意がわかりにくかったらしい。
人の代になって、この「スサノオ」からは31文字の歌を詠んだのであった。
すなわち、似たような詩や祝詞的なものは高天原で婚礼の時に唄われていたけれど、わかりやすい言葉でリズム良く31文字で歌い上げたのが「スサノオ」だったというのです。
この歌が古くから愛され研究されて来たことがわかりますね。
「スサノオ」が作ったか、改良したのかはわかりませんが、調べが滑らかでリズムのよいこの和歌、声に出して読みたいですね。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)
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