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一度目はイザナミから声をかけてしまったため失敗してしまい、不完全な姿のヒルコが産まれてきた ので、船に乗せ川に流してしまいました。
その後、改めてイザナギから声をかけたことにより成功し、様々な神を生むことになります。
※今では医療が進み、生かすことができるようになりましたが、当時はそのような技術がない上、不吉なものとして捨てられていたようです。
2神は柱の周りを逆方向から廻って会い、「みと(陰部)のまぐわい(交わり)」をする約束をします。
2神が会うと「イザナミ」が「なんて美しい男でしょう」と声をかけました。
2神は「ヒルコ」を「葦で編んだ船」に入れて流します。
次に生まれた子供も淡島(淡路島ではなく泡のような物)でした。
写真:大島から臨む「淤能碁呂島」はどこか?の候補地の一つ「沖ノ島」
天津神は太占(フトマニ)に占わせます。
すると太占は
「女が先に喋ったのが良くなかった。淤能碁呂島に戻って最初からやり直せ。」
と言いました。
地上に戻った2神は、言われた通り「イザナギ」から「なんて美しい女だ」と声をかけ「まぐわい」をし、次々に神を生むことになります。
(「神生み」はこちらをご覧ください。)
「高天原」と「地上」のイメージ(諸説あります)
日本では鹿の肩甲骨を桜の木で焼き、ひびが入った形を見て占っていました。
中国では亀の甲羅を焼いて占っていたそうで、古代日本の風俗を記載した中国の歴史書「魏志倭人伝」には「魏人は何かあれば骨を焼いて吉凶を占う。
その様子は冷亀法に似ている。」という記述があります。
そしてなぜ流されてしまったのでしょうか。
多くの説がありますが、ここでは3つ紹介します。
その後誕生する「アマテラス」の権威を際立たせるために最初の子(神)を流したという解釈です。
昔から日本各地に「ヒルコ」が流れ着いたとし祀る神社があることから、おそらく「古事記」が編纂された直後から有力視されてきている解釈でしょう。
「アマテラス」と双子だったという説やその後「エビス様」になったという説もあります。
(兵庫県にある西宮神社が有名)
「蛭」は血を吸う生き物、つまり「生贄」を神格化したものではないかという解釈です。
「古事記」の「ヤマトタケル」の場面にも海の神の怒りを鎮めるために「ヤマトタケル」の妻が生贄になって海に飛び込む場面があります。
また、地に栄養を与える「肥料」に「人」が適しているという側面もあることが生贄説を主張する人の根拠となっています。
障害かどうかわかりませんが弱かったのだという説です。
(「アマテラス」を象徴的に日本神話体系の中心としているものの「古事記」の主人公は男神である「スサノオ」や「大国主命」や「ヤマトタケル」です。)
私は、この「婚姻の儀」のやり直し神話が日本人に与えたインパクトは遺伝子的に大きいと感じています。
占いをしていると「彼からのプロポーズや告白を待っている」と言う子にお会いすることがあり、令和になっても「告白は男から」という発想は消えていないことを感じます。
遺伝子に組み込まれてしまっているので、草食系とかこじらせ系とか言ってないで、男性には告白をする勇気を持って欲しいものです。
①の「アマテラス」のライバルであれば、最初からいなかったことにしてしまえば良く、敢えて「生まれたけど流した」などと記述する必要がないので「太陽の子」説には違和感を感じます。
②の生贄説は、文字を見ると納得感がありますが、日本神話にそれほど生贄というものが出てこないことを考えると 違う気がします。
昔は育たない子が多かったことから、子供を亡くした夫婦に
「この後丈夫な子供を産めるかもしれない」
という希望を与えたかったのかもしれません。
そして、(生贄ではなく)亡くなった子を埋めることによって肥料や田畑の守り神となり、翌年豊作になったこともあるでしょう。
また、「船に乗せて流した」という表現は一見すると「捨てた」ように見えますが、昔、日本では海の中に「ワタツミ(海の神)の宮」や「竜宮城」という場所があるかもしれないと思われていました。
もちろん地上の何処かに流れ着いて幸せに暮らした可能性も感じさせます。
「ヒルコ」が「亡くなった」とするのではなく、「生きたまま流した」ことにしたのは読者に希望を与える表現なので「ヒルコ」がたどり着いた場所が複数存在するのだと思います。
葦は神から与えられた恵みの象徴です。
「古事記」の「ヒルコ」は「葦船に入れて流し去りつ」という記述に、「ヒルコ」だけでなく「イザナギ」や「イザナミ」や読者への尊敬や優しさを感じます。
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『日本神話タロット 極参』恋人
「イザナギとイザナミの婚姻の儀」「恋人」のカードの意味
・正位置
恋愛、共感、性的な喜び、肉体的な魅力
・逆位置
誘惑、不道徳、失恋、浮気、迷い、破綻
『日本神話タロット 極参』恋人「婚姻の儀」の解説文(写し)
大地を作り、地上に降りた イザナギとイザナミは天御柱(てんのみはしら)を周り婚姻の儀を行います。一度目はイザナミから声をかけてしまったため失敗してしまい、不完全な姿のヒルコが産まれてきた ので、船に乗せ川に流してしまいました。
その後、改めてイザナギから声をかけたことにより成功し、様々な神を生むことになります。
※今では医療が進み、生かすことができるようになりましたが、当時はそのような技術がない上、不吉なものとして捨てられていたようです。
2神の行った「婚姻の儀」とは
「イザナギ」と「イザナミ」は「国生み」で生んだ最初の島「淤能碁呂島(オノゴロジマ)」に降り、天御柱(てんのみはしら)を建て御殿を作りました。2神は柱の周りを逆方向から廻って会い、「みと(陰部)のまぐわい(交わり)」をする約束をします。
2神が会うと「イザナミ」が「なんて美しい男でしょう」と声をかけました。
うまくいかない「神生み」
そうして生まれたのが不完全な「ヒルコ」です。2神は「ヒルコ」を「葦で編んだ船」に入れて流します。
次に生まれた子供も淡島(淡路島ではなく泡のような物)でした。
写真:大島から臨む「淤能碁呂島」はどこか?の候補地の一つ「沖ノ島」
「高天原」に相談に行く
困った2神は「高天原」にいる「天津神」に相談に行きます。天津神は太占(フトマニ)に占わせます。
すると太占は
「女が先に喋ったのが良くなかった。淤能碁呂島に戻って最初からやり直せ。」
と言いました。
地上に戻った2神は、言われた通り「イザナギ」から「なんて美しい女だ」と声をかけ「まぐわい」をし、次々に神を生むことになります。
(「神生み」はこちらをご覧ください。)
「高天原」と「地上」のイメージ(諸説あります)
太占とは
獣の骨に傷をつけて火で焼き、亀裂の入り方で吉凶を判断する卜占(ボクセン)の一種やそれを行う人(神)です。日本では鹿の肩甲骨を桜の木で焼き、ひびが入った形を見て占っていました。
中国では亀の甲羅を焼いて占っていたそうで、古代日本の風俗を記載した中国の歴史書「魏志倭人伝」には「魏人は何かあれば骨を焼いて吉凶を占う。
その様子は冷亀法に似ている。」という記述があります。
「ヒルコ」とは
なぜ「神生み」の物語の最初に「ヒルコ」を登場させたのでしょうか。そしてなぜ流されてしまったのでしょうか。
多くの説がありますが、ここでは3つ紹介します。
①「ヒルコ」は「日の子」であったという説
「ヒルコ」は「日の子」つまり「太陽の子」であったという説です。その後誕生する「アマテラス」の権威を際立たせるために最初の子(神)を流したという解釈です。
昔から日本各地に「ヒルコ」が流れ着いたとし祀る神社があることから、おそらく「古事記」が編纂された直後から有力視されてきている解釈でしょう。
「アマテラス」と双子だったという説やその後「エビス様」になったという説もあります。
(兵庫県にある西宮神社が有名)
②「ヒルコ」は生贄だったという説
「ヒルコ」は「古事記」では「水蛭子」という字で書かれる神です。「蛭」は血を吸う生き物、つまり「生贄」を神格化したものではないかという解釈です。
「古事記」の「ヤマトタケル」の場面にも海の神の怒りを鎮めるために「ヤマトタケル」の妻が生贄になって海に飛び込む場面があります。
また、地に栄養を与える「肥料」に「人」が適しているという側面もあることが生贄説を主張する人の根拠となっています。
③「ヒルコ」は障害児だったという説
中国南部や東南アジアに、人類の始祖となる兄妹の間に最初に不満足な出来の子が出来たという類似の伝承があり、その関わりが指摘されています。障害かどうかわかりませんが弱かったのだという説です。
はるさん的考察
「婚姻の儀」のやり直しについて
「婚姻の儀」のやり直しは「国生み」の苦しみと共に日本社会の男尊女卑を表しているでしょう。(「アマテラス」を象徴的に日本神話体系の中心としているものの「古事記」の主人公は男神である「スサノオ」や「大国主命」や「ヤマトタケル」です。)
私は、この「婚姻の儀」のやり直し神話が日本人に与えたインパクトは遺伝子的に大きいと感じています。
占いをしていると「彼からのプロポーズや告白を待っている」と言う子にお会いすることがあり、令和になっても「告白は男から」という発想は消えていないことを感じます。
遺伝子に組み込まれてしまっているので、草食系とかこじらせ系とか言ってないで、男性には告白をする勇気を持って欲しいものです。
「ヒルコ」について
「ヒルコ」に関しては、結論から言うと基本的に③の障害があった(または体が弱かった)という説が有力だろうと思っています。①の「アマテラス」のライバルであれば、最初からいなかったことにしてしまえば良く、敢えて「生まれたけど流した」などと記述する必要がないので「太陽の子」説には違和感を感じます。
②の生贄説は、文字を見ると納得感がありますが、日本神話にそれほど生贄というものが出てこないことを考えると 違う気がします。
昔は育たない子が多かったことから、子供を亡くした夫婦に
「この後丈夫な子供を産めるかもしれない」
という希望を与えたかったのかもしれません。
そして、(生贄ではなく)亡くなった子を埋めることによって肥料や田畑の守り神となり、翌年豊作になったこともあるでしょう。
また、「船に乗せて流した」という表現は一見すると「捨てた」ように見えますが、昔、日本では海の中に「ワタツミ(海の神)の宮」や「竜宮城」という場所があるかもしれないと思われていました。
もちろん地上の何処かに流れ着いて幸せに暮らした可能性も感じさせます。
「ヒルコ」が「亡くなった」とするのではなく、「生きたまま流した」ことにしたのは読者に希望を与える表現なので「ヒルコ」がたどり着いた場所が複数存在するのだと思います。
葦は神から与えられた恵みの象徴です。
「古事記」の「ヒルコ」は「葦船に入れて流し去りつ」という記述に、「ヒルコ」だけでなく「イザナギ」や「イザナミ」や読者への尊敬や優しさを感じます。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)
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