

フッカーエメラルドは75.47カラット(15.094 g)一辺27mmの正方形のエメラルドです。
現在は周りに合計約13カラットのダイヤモンドが配置されたプラチナ台のブローチとなってアメリカのスミソニアン博物館の宝石ギャラリーに寄贈され、展示されています。

フッカーエメラルドについて
フッカーエメラルドの原石は16~17世紀にコロンビアで発見されましたが、鉱山は不明です。
このサイズにしては驚くほどインクルージョンが少ないのが特徴です。
エメラルドはインクルージョンやクラックが最も入りやすい宝石です。
フッカーエメラルドの歴史
フッカーエメラルドはコロンビアで発見されると、原石はコンキスタドールによってヨーロッパに送られてカットと研磨が施されました。
最初の所有者は最後のオスマン帝国スルタン(皇帝)であるアブデュルハミト2世です。

アブデュルハミト2世はこのエメラルドは帝国の王冠の宝石(クラウン・ジュエル)の一部となり、彼はこれをベルトのバックルに仕立てて身に着けていました。
その後、1908年オスマン帝国の王冠の宝石の多くがパリへと密輸されました。
アブデュルハミト2世は「青年トルコ党」による革命やクーデターの発生を恐れており、宝石の売却益で亡命先での快適な生活費を確保することを望んでいたのです。
しかしサロモン(またはセリム)・ハビブという業者への売却によって得られた資金は、青年トルコ人革命の発生により新政府に没収されることになりました。
1911年、ハビブは借入金の返済に充てるためアブデュルハミト2世から買い取ったコレクションをオークションに出品しました。
オークションを落札したのは、アメリカのジュエリー会社ティファニーです。

ティファニー社は当初、このエメラルドをティアラ(宝冠)にセットしました。
しかし、そのティアラは何十年もの間売れ残ったため、1950年に石が取り外され、現在のブローチへと作り直されました。
1955年、資産家で慈善家であるジャネット・アネンバーグ・フッカー様が未公開の金額でティファニーからこのブローチを購入しました。
ジャネット・アネンバーグ・フッカーさま
は1904年にシカゴ生まれました。
父モーゼスは『デイリー・レーシング・フォーム』紙や『フィラデルフィア・インワイアラー』紙を擁する出版帝国の創業者です。
3度の結婚しましたが3度目に結婚したのが1974年に『フィラデルフィア・インワイアラー』紙の労務管理責任者であったジェームズ・スチュワート・フッカー氏でした。(1976年死別)。
ジャネット・アネンバーグ・フッカーさまは1977年に、当時50万米ドル相当と査定されていた「フッカーエメラルド」をスミソニアン協会に寄贈しました。
ジャネット・アネンバーグ・フッカーさまはその後「フッカーイエローダイアモンド」や宝石・鉱物を展示する新しいギャラリー建設のための500万ドルの現金も寄付なさり1997年に亡くなりました。

フッカー・エメラルド・ブローチのデザイン

ティファニー社がデザインしたフッカー・エメラルド・ブローチは、端が開いた円形のプラチナ製バンドで構成されています。
バンドの両端は外側に向かって渦巻き状(スクロール模様)にカーブしており、1石のラウンド・ブリリアント・カットのダイヤモンドでつなぎ合わされています。
さらに108石のラウンド・ブリリアント・カット・ダイヤモンドがバンドに沿って散りばめられています。
バンドからはスポーク(放射状の支柱)が交差するように伸び、中央に配置されたフッカー・エメラルドの台座を形成しています。
エメラルドの背面からプラチナバンドに向かって、スポークの間に10対のバゲット・カット・ダイヤモンドが突き出すように配置されています。
売り物ではありませんが現在の価値は5,000,000ドルだそうです。
スミソニアン博物館の一つ国立自然史博物館

スミソニアン博物館群の一つに国立自然史博物館があります。
その2階にジャネット・アネンバーグ・フッカー地質学ホール、宝石展示ホール等の国立宝石コレクションを有しています。
展示物の中には所有すると呪い殺されてしまうという呪いの伝説で有名なホープダイヤモンドも含まれている
フッカーエメラルド 誕生日石
フッカーエメラルドは10/13の誕生日石に選ばれました。
ジャネット・アネンバーグ・フッカーさまは1904年10月13日生まれです。















