(150)『古事記』水歯別命と隼人の曽婆訶里 履中天皇の功績
二上山(奈良県)

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これまでのあらすじ

仁徳天皇亡くなり履中天皇が即位しました。

即位を祝う宴の最中に弟( 墨江中王 スミノエノナカツミコ)が反乱を起こしましたが、家臣の阿知直( アチノアタイ)によって助けられ、無事に石上神宮まで逃げることが出来ました。

「古事記」における水歯別命と隼人の曽婆訶里

仁徳天皇の3人の息子さんの物語です。

関係性が複雑なので図にしてみました。

図に番号をふりましたので参考にしてください。

履中天皇の即位の宴で墨江中王が放火し、履中天皇の殺害を試みます。

履中天皇石上神宮に逃げ込みました。

( 参照:(149) 履中天皇即位 皇妃と皇子女)

石上神宮にいる履中天皇の所へ、同母の弟の水歯別命(ミズハワケノミコト:後の第18代 反正天皇)が会いにやって来ました。

しかし天皇は、

履中天皇
私は、あなた(水歯別命) のことも
墨江中王(スミノエノナカツミコ)と同じ心ではないかと疑っている。
だから何も話すことはない。

と仰せになりました。

すると水歯別命は、

水歯別命
私は反逆心なんかありません。
墨江中王と同じ心ではございません。

と申し上げたので、天皇は次のように言いました。

履中天皇
それならば今から帰り、墨江中王を殺して来なさい。
その時にはあなたと話し語り合おう。

そこで水歯別命は、難波に帰り墨江中王側近の隼人の曾婆加理(ソバカリ)を欺いてこのように言いました。

隼人の祖は火照命(ホデリ 海幸彦)です!

水歯別命
もし、お前が私の言うことを聞き従えば、お前を大臣にしてやろう。
どうだ。

すると曾婆訶理は、

曾婆加理
仰せのとおりに致します。

と答えたので、水歯別命隼人の曾婆加理にたくさんの品物を与え、

水歯別命
ならば、お前が仕えている王(墨江中王)を殺すのだ

と命令しました。

⑤そして曾婆訶理は、自分の君主(墨江中王)が厠に入る時を密かにうかがい、矛で刺し殺しました。

墨江中王を殺させた後、水歯別命曾婆訶理を率いて大和の方へ進みました。

大阪山の麓に着いた時、水歯別命はこのように考えていました。

水歯別命 心の声
曾婆訶理は、私の為に大きな功績を上げたが自分の君主(墨江中王)を殺したことは忠義に反する。

しかし自分がその功績に報いないことは信義に反してしまう。

だがその信義に従い報酬を与えれば、こいつはまた自分の私心のため平気で君主の命を狙うかもしれない。

その心が恐ろしい。
ならば一旦その功績には報いて大臣にし、本人は殺してしまおう

そして水歯別命曾婆訶理に、

水歯別命 
今日は、ここに留まる事にしよう。まずはお前に大臣の位を授け、明日、大和へ上ろう。

と言い、その山の麓に留まり、仮の宮を造り、すぐに豊楽(トヨアカリ:酒宴)を開き、曾婆訶理大臣の位を賜わって、

百官(モモノツカサ:たくさんの役人)達に拝ませました。

すると、曾婆訶理はそれに喜びました。

曾婆訶理
願いが叶った!

そこで水歯別命は曾婆訶理に、

水歯別命
今日は大臣(曾婆訶理)と同じ盃の酒を飲もう

と言い、共に酒を飲んだ時、顔を覆い隠すほど大きな椀に酒を盛りました。

まず、水歯別命が先に酒を飲み、その後に曾婆訶理が酒を飲みました。

曾婆訶理が酒を飲む時、その大きな椀が顔を覆いました。

⑥その時、水歯別命は自分の座っている敷物の下に隠し置いていた剣を取り出し、酒を飲んでいた曾婆訶理の首を切ったのでした。

そうして、翌日、大和へと上って行きました。

これによりこの地を近飛鳥(チカスアスカ:大阪府羽曳野市飛鳥)と言うのです。

そして、水歯別命大和に上り着き、

水歯別命
今日はここに留まり、
禊祓(ミソギハラエ:罪や穢を祓い清めること)をして、
明日になってから履中天皇がいる石上神宮を拝礼しよう。

といいました。

そこで、この地を遠飛鳥(トオツアスカ:奈良県明日香)と言うのです。

⑦こうして石上神宮に参上し、履中天皇に、

水歯別命
ご命令どおり、平定し終えましたので参上しました。

と申し上げると、天皇は宮に召し入れ、水歯別命と語り話し合いました。

🍃

履中天皇を救った阿知値(アチノアタイ)を初めて蔵官(クラノツカサ:朝廷の蔵を管理する役職)に任命して、田所(耕作地)を賜いました。

また、この御世若桜部臣(ワカサクラベのオミ:履中天皇が政治を行った場所を大臣の名称とした)らに若桜部という名を賜い、

また比賣陀君(ヒメダノキミ:菟上氏の子孫)らに比賣陀君の姓を賜い、

また、伊波礼部(イワレベ:皇后の所在地名)を定めました。

この天皇の御年は、64歳。壬申年(みずのえさるのとし:西暦432年)、1月3日に崩御されました。

御陵は毛受(百舌:大阪府堺市西区石津ヶ丘)にあります。

履中天皇陵と治定されている古墳

大阪府堺市hpより お写真をお借りしました

履中天皇陵と治定されているのは古墳の墳名は上石津ミサンザイ古墳です。

仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳に次ぐ大きさを誇る巨大な古墳です。

はるさん的補足 履中天皇の功績

古事記」における履中天皇の記事は以上となります。

これだけですと、のんびりした性格の、あまり有能そうに見えない天皇のように見受けられてしまいます。

在位は5〜6年と短いのですが履中天皇ヤマト政権の国家体制を構築したとも言われています。

具体的には

・忠臣の平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)蘇我満智宿禰(ソガマチノスクネ)や、物部氏葛城氏の各氏族にも国事を任せた

・各地に国司を置き、官事を記録させて、広くその意向を伝えた。

・諸国の記録を残すために国史(フミヒト 書記官)を置き、細かな国情を報告させるようにした。

蔵職(クラノツカサ)を設立し、蔵部(クラヒトベ)を置き、朝廷の財宝資料を倉に収め整理しました。

このように制度化することで、次第に複雑化していく国家財政を安定させようとしたのです。

履中天皇が、ヤマト政権の国家体制を構築した功績は大きく、履中天皇陵の規模に相応しい功績を残したといえるようです。

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「古事記」の他の記事

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. みなみな より:

    履中天皇はあまり…以下、自粛ですがそんな一瞬、昼行灯的な中村主水ごとき人間的に魅力のあるイケている素晴らしい功績のある天皇だと言うことがよく分かる楽しい学びのあるお話し、本日もどうもありがとうございました!

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      仁徳天皇の系統はこの時は直系でしたが、古事記編纂時から現在に至るまで、傍流となる上、母親が葛城家、必要以上に無能に描かれているように感じます。
      政治的な功績を補足しましたが、短い期間に多くのことを成し遂げたと考えることもできるので、有能な天皇だったと言えるのではないでしょうか。

  2. 才色健躾 より:

    この度も人の心を持つ天皇のお姿を垣間見れました。
    古の時代、死を以って成敗されることは何を意味するのでしょうか
    此方の時代は黄泉の国の存在も認められていらっしゃる時代と聞きます
    その国より亡霊と為り祟られ我が身を苦に至らしめるとは考えないのでしょうか
    その様な履中天皇も短い在位のさなか基盤を構築された事は立派ですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      まあ、この件に関しては墨江中王もソバカリも成敗されても仕方ないかな?と思ってしまうのですが、、、。
      天皇に対する反逆罪ですからね!
      履中天皇も反正天皇もこの頃の天皇にしては短命です。祟りに苦しめられていたかもしれないですね。

  3. さゆ より:

    水歯別命は、非道に誘っておきながら、曾婆加理が非道に進んだのが理由で殺害するのは、余りにも身勝手ですね!
    履中天皇も、統治体制を築いていき、国造りでは大きな役割を果たしましたが、謀反を企てられたり、兄弟を倒したり、と本当に誰を信じていいのか分からない時代でしたね。
    倫理観のある社会は、統治者が率先して形成しなけれらばならないことでしょうが、まだまだされていない時代でしたね。
    しかし、どの天皇陵の大きさもすごいですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      古事記では仁徳天皇の息子たちの愚かな潰し合いを描いているのだと思います。

      水歯別のしたことは非道ですが今も会社内などでは命でなくても会社生命を奪うような、似たようなことは行われているのではないでしょうか。
      倫理観というより刑罰が怖くて
      本当の命は奪えないだけのような気もします。
      でも、ソバカリの祟りからか、この時代にしては履中天皇も反正天皇も短命です。
      その割に陵は大きいですね。笑

  4. ミカリン より:

    この時代の戦は手段を選ばないし、人としての正義や、不義理に対して良心の呵責もなかったようですね。生き残る為には、なんでもありだったのでしょうか

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      裁判もない時代は無秩序なんでしょうね。
      殺さなければ殺されてしまう状況、疑心暗鬼になっていたことでしょうね。

  5. Yoshi より:

    やりとりの図が直観的に分かりやすく、とても良いですね
    というか天皇への反逆とはいえ、結局は血生臭い話です。「忠義を示したいならば、あの者を殺せ!」とか鎌倉殿に通じる感が。
    「主人を殺したらお前を大臣にしてやろう」の話は、持ちかける側も持ちかけられた側もどちらにとってもすごい話ですし、ソバカリに対して筋は通してるけど結局は殺しちゃってるもんなーって。まあソバカリも酒を飲んで酔っているうちに旅立って、いい夢は見れたのかもしれませんが。
    (というか、歯とかそばとかはるさんのアイコンのチョイスがいちいち可愛いです良い歯な感じ)
    履中天皇は文武の武の方よりも文の方が得意だった感じですね。制度を良い感じに整えるというのはとても有能だから出来ることなのかと。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      兄弟での皇位継承は争いの元なのでしょうね。
      血生臭い話しです。
      それぞれの人なりの筋の通し方をしているのですが、殺し合わない方法を考えることはできなかったのでしょうか。
      古事記って当然ベタで書かれてるので、誰のセリフかわからないという声を聞いていたので、工夫してみています。
      履中天皇の功績もきっと阿知値の助けがあってのことでしょうね。

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