これまでのあらすじ
応神天皇は10人の女性と結婚し、27人の子をもうけます。
その中で特に信頼していた3人の皇子の役割りを決めました。
「古事記」における (宮主)矢河枝比売
前回は応神天皇が宇遅能和気郎子(ウジノワキイラツコ)を後継者に決めたお話しでした。
「古事記」ではその後に母親である(宮主)矢河枝比売との出会いと結婚、宇遅能和気郎子の場面が出てきます。
応神天皇は、宇治野から木幡村(コノハタムラ)に行った時に道で美しい嬢子と出会いました。
と尋ねると
(ワニのヒフレノオオミ)
の娘で、
名は宮主矢河枝比売といいます
行こう。
矢河枝比売は帰宅しすぐに父親に話すと
恐れ多いことだ。
娘よ。
お仕えしなさい。
そして家を飾りお待ちしていると、翌日応神天皇がいらっしゃいました。
丸迩の比布礼能意富美は矢河枝比売に盃を持たせて、天皇に捧げさせました。
娘に盃を持たせて捧げさせるというのは
結婚を承諾したことを意味します。
宮主とは巫女のことです。
応神天皇はその盃を持たせたままお歌いになりました。
🍶この蟹や 何処の蟹
数多の土地を経てきた 角鹿の蟹
横歩きして 何処に行く
伊知遅島 美島に着いて
鳰鳥のように 水に潜って出ては息をつき
凸凹した 楽浪路を
すくすくと 歩いてみたらばったり
木幡の道に 遭ったお嬢様
後姿は 小楯のよう
歯並みは 椎か菱の実のよう
櫟井(イチイイ)の 丸迩の坂の土を
初土は 赤く
底土は 黒いので
三つ栗の その真ん中を
真火には当てず
眉を画き 濃く画き下ろし
遭はし乙女
こんな子が素敵と思っていた子
こんな子がいたらなあと思っていた子
まさしく向かいあって寄り添っていたいなあ🍶
このように、お二人は結婚し、宇遅能和紀郎子が生まれました。
この歌は応神天皇がお作りになったものではなく、元からあった歌謡だと思われます。
カニ男が可愛いカニ女と出会った喜びを歌った滑稽な歌です。
恐らく所作を伴ってお歌いになったと思われます。
はるさん的補足 丸迩氏との婚姻が示すこと
丸迩氏は和珥氏とも書く奈良盆地東北部で勢力のあった豪族でした。
(ワニ、サメ?を信仰していたという説もあります。)
この結婚は大豪族であった丸迩氏を服従させたことも意味したと言われています。
また丸迩氏側も葛城氏などの豪族と張り合う意味で
是非、娘に天皇と結婚をして欲しかったものと思われます。
一見、ほのぼのとした結婚譚に見えますが色々な思惑があったようです。
ちなみに丸迩氏は6世紀頃に、春日氏、小野朝臣、柿本朝臣などと名乗るようになります。
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