(106)『古事記』垂仁天皇⑤ 丹波の四女王 婚姻制度の変化
垂仁天皇陵(奈良県)

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これまでのあらすじ

垂仁天皇の后「サボヒメ(沙本毗売)」は悩んだ挙句、

謀反を起こした兄の「サホビコ(沙本毗古)」と共に死ぬことを選びました。

そして亡くなる前に新しい皇后にご自分の従姉妹を推薦しました。

丹波の四女王(「古事記」に記されている内容)

この章は婚姻の形の変化を記すため、後から創作されたという説が有力です。

そのためなのか、

(102)垂仁天皇①皇妃と皇子女」に記されている内容、

漢字とも少し違います。

垂仁天皇は「サボヒメ」が申し上げた通り、丹波の「ミチノウシノミコ(美智能宇斯王)」の娘たちの

・「ヒバスヒメ(比婆須比売)

・「オトヒメ(弟比売)

・「ウタコリヒメ(歌凝比売)

・「マトノヒメ(円野比売)

の4人をお召し上げになりました。

ミチノウシノミコ」の4人の娘

しかし「ウタコリヒメ」と「マトノヒメ」は

容姿が醜いという理由で故郷に送り返されます。

マトノヒメ」はそれを恥じて

マトノヒメ
同じ姉妹の中で容貌が悪いからという理由で返されたことが、
近隣の耳に入りましょう。

とても恥ずかしい。

と言って、

山城国相楽(サガラカ)まで来た時に、

木の枝に首を吊って死のうとしました。

このことからこの地を懸木(サガリキ)といいました。

今は相楽といいます。

この時は一命を取り止めましたが、

乙訓(オトクニ)に着いた時、

とても険しい淵に落ちて亡くなりました。

そこでその地を堕国(オトクニ)といいました。

今は弟国(オトクニ)といいます。

丹波、山城の位置 とても長い帰り道ですね

はるさん的補足 婚姻制度の変化

姉妹婚

古事記」で姉妹婚といえば

コノハナサクヤヒメ(木花佐久夜比売)」と「イワナガヒメ(石長比売)」が有名です。

父である「オオヤマツミ(大山津見)」が「天孫ニニギ(邇邇芸)」に姉妹で嫁がせたいと願ったように、

姉妹がいる場合は何人か同時に嫁がせるということが珍しくなかったようです。

ただし、このお話しは「ニニギ」が「イワナガヒメ」を醜いという理由で拒否したために、姉妹婚は成立しませんでした。

正妻 (皇妃) を1人に

いつの頃からか正妻を1人にする考えが始まり、習慣化していったようです。

垂仁天皇の場合、

7人の妻がいましたが、最初の正妻は「サボヒメ」で、

その後は「ヒバスヒメ」です。

婚姻制度の変化を示すために、

古事記」を読む人なら誰もが知る「ニニギ(邇邇芸)」と「イワナガヒメ」の物語を連想させるように

マトノヒメ」らを醜いために追い返されたことにした物語を創作したのだと思われます。

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コメント一覧
  1. さゆ より:

    容姿がひどいからと言って送り返すのはひどいですね。マトノヒメは、かなり心を痛めたのですね。逞しく、一説には、他の人と結婚したと言われるイワナガヒメのように幸せになれなかったのは気の毒です。オオヤマツミは、怒りましたが、ミチノウミノミコは怒らなかったのでしょうか?
    天皇が正式な妻を一人にするように婚姻の形が変化したのは、天皇を継ぐ子をはっきりさせないといけなかったからかしら?
    妻としてやって来た比売達を送り返すことは、正式な妻を一人にすることに繋がるのでしょうか?
    垂仁天皇の系譜の7人の妻にオトヒメ弟比売は載っていないのは後から創作したからですね。

    • harusan0112 より:

      このようなお話しが口伝で伝わって来ているというのは、男尊女卑の考えが根強いからかな、と思います。
      オオヤマツミはいいお父さんでしたが、ヒコタタスミチウシの記述はないのでわからないですね。
      でも、正妻となったヒバスヒメが次期天皇の景行天皇の母になるので、ヒコタタスミチウシとの関係がとても悪かったとは思えないですね。
      でも、皇后(正妻)の子が天皇となるとは限らないようです。
      弟比売は沼羽田入比売に当たるのか?
      でも、後からの創作とわかるようにあえて違う名前にしたような気がします。

  2. 才色健躾 より:

    垂仁天皇も酷いお方です。
    容姿の醜くさから郷里へ帰すなんて…マトノヒメには相当な屈辱でありました
    この時代はその様な事柄を生きる上では生死にかかわる大事でしたのでしょうね
    一夫多妻、姉妹婚、正室妾、側室そして一夫一妻。
    全て殿方中心の考えにて気は滅入ります。

    • harusan0112 より:

      後から作られた話しだと思いますが、酷いと思います。
      このお話しが曲げられずに伝わっているところが、「かわいそうだけど仕方ない」と受け入れられてしまったのだろうと思うと、日本の男尊女卑が根深いことがわかりますね。
      ヒバスヒメは妹が亡くしたけれど正妻となり、息子が天皇(景行天皇)になりました。
      かなり複雑な心境でしょうけれど、意志を主張する場所はなかったのかも知れません。

  3. Yoshi より:

    ついに来ましたねひどい男パート2(笑
    それもなのですが、知人が相楽郡南山城村の出身だったりしますほとんど奈良な京都。
    葛城とかもそうなのですが、奈良・京都ほかあのあたりって神話に出てくるような地名が結構あったりして面白いです。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      酷い男です。笑
      姉妹で醜い子は返される、そして長い帰途につく。
      地獄ですよね。
      地名の付け方も容赦ないというかセンスがあるのかないのか。笑

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