(66)『古事記』「ニニギ」の誕生と降臨の指令
「古事記絵詞」よりアマテラスとタカミムスビがニニギに命を下す場面


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ここまでのあらすじ



高天原の「アマテラス(天照大御神)」は葦原中国を自分の子供に治めさせたいと言い出しました。

派遣された「タケミカヅチ(建御雷神⚡️) 」は紆余曲折ありましたが「オオクニヌシ(大国主命)」が作った葦原中国を譲ってもらうことに成功しました。

そして「タケミカヅチ」は高天原に帰り、葦原中国を平定した(譲ってもらえた)ことを報告しました。

「ニニギ」の誕生と降臨の指令 「古事記」におけるこの場面



アマテラス」と「タカミムスビ(高御産巣日神)」が
マサカツカチハヤヒアメノオシホミミ(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命)」(以下「オシホミミ」と表記します)に

アマテラスとタカミムスビ
葦原中国はすっかり平定したようだから、前から言っていたように地上に降りて治めなさい。
と言うと

オシホミミ
私が出かける用意をしている間に子供が産まれました。
名前は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)」(以下「ニニギ」)」と表記します)と言います。
この御子を地上に行かせましょう。
この御子「ニニギ」は「オシホミミ」が
タカミムスビ」の娘「トヨアキヅシヒメ(豊秋津師比賣命)」を妻として産んだ御子で
アメノホアカリ(天火明命)」の次に生まれた次男です。
アマテラス」と「タカミムスビ」は「ニニギ」に

アマテラスとタカミムスビ
葦原中国はあなたが治める国です。
さあ、高天原から葦原中国に降りなさい。
と言いました。

「オシホミミ」とはどんな神か



正式名称は
マサカツカチハヤヒアメノオシホミミ(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命)」です。

とても長い神名ですね。

系譜に示したように「アマテラス」と「スサノオ」がウケイによって産んだ子です。
(ウケイで産まれた8柱の神の長男です。)

名前から考える

マサカツ(正勝吾勝)…正しく勝った、私が勝った
カチハヤヒ(勝速日)…素早い勝利の神霊
ここまでは「アマテラス」が「スサノオ」との「ウケイ」に勝ったと強調するために付けられていると考えられています。
アメノ(天)…高天原の
オシ(忍)…大きい
ホ(穂)…秀でる
ミミ(耳)…身
つまり「高天原の大いに秀でた身を持った神」という意味です。

スサノオ」も「ウケイ」によって宗像三神を産んだということで勝利宣言をしました。

しかし「アマテラス」も勝利宣言をしています。
(さすが兄弟、似てますね。)

「オシホミミ」が「古事記」に登場した場面

オオクニヌシ」が国作りを終え、「アマテラス」が

アマテラス
私の子に国を治めさせたいわ!
と宣った時に最初に指名され、天の浮橋まで行って

オシホミミ
地上はとても騒がしい
と言って戻ってきてしまった神です。

詳しくはこちらの記事をご覧下さい。 そして、ようやく葦原中国天津神が治めることになり、降臨するよう命じられたのですが、今度も自分は地上には降りないと言っています。

アマテラス」が子ではなく孫を降臨させた理由は諸説あります。

こちらの記事で紹介しています。

はるさん的補足
末子(マッシ)相続

末子相続とは、最後に生まれた子が家督を相続する制度です。

この物語で葦原中国に降りることになったのは「ニニギ」です。

ニニギ」には兄の「アメノホアカリ(天火明命)」がいます。

それなのになぜ「ニニギ」が行くことになったかというと、この時代の出雲族に末子相続の習慣があったことが関係していると言われています。

ちなみに、この後出て来る「神武天皇」も末子です。

日本の他の地域でも末子相続が行われていたようですが、それは先に生まれた男子は神官になったり早くから働きに出たりして家を出てしまうことが多いので、未子が家を継ぐことが習慣になったようです。

この物語では長男は高天原に残り、「ニニギ」が地上に降臨するのですが
一家の一大事は末子に任せる」という思想が反映されているのかもしれません。

国津神(出雲族)が治めた国を奪う形になったものの、「良い」と思った習慣を直ぐ取り入れるところに天津神(ヤマト朝廷)の柔軟性を感じます。

古事記の他の記事

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中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. 大和朝廷、神武天皇の呼称を目にしますと神話から実話に感じますね
    今回も漢字の組立から教えて頂けますとより理解しやすいです。
    しかしニニギ様は地上に降りられる事を本気にて承諾されたのでしょうかね…

    • ありがとうございます♪
      だんだん歴史書的要素が強くなってきましたね。
      神さまのお名前が長すぎると閉口していましたが、意味をしるにはあの長さが必要なんですね!
      ニニギ様は、おっそろしいお婆さんとイマイチな?お父様に強制され、わけわからないまま降臨させられたんだと思います。
      地上での言動が酷いのは、統治しに行くという自覚が足りなかったからだと思います。
      幼かったですしね。

  2. アマテラスは、スサノオが女の子を産んだので邪心がないことを認めた一方で、秀でている神を生めば、私は勝っているという独自の賭けもしていたのですね。○○なら、がなかったですものね。うん、似てる。
    アマテラスが、子でなく孫を降臨させたのは、生まれたての嬰児信仰説や、
    自分の子孫を即位させたことを神話をもって、正当化したかったことなどがあるのですね。この場合は、元明天皇がニニギをモデルとした孫の即位を正当化したかったでいいのでしょうか。

    • ありがとうございます
      このウケイは条件が決まってない中の出産ですから、お互い勝利宣言してしまいました。
      アマテラスは持統天皇とすると、ニニギは文武天皇になります。

  3. オシホミミ、の「耳」がどうしてもインパクト強かったのですが(耳が大きかったのかな?とか)
    「身」なんですね。
    ヤマト朝廷については、負けた側にフォローを入れたり、良いと思ったシステムを早々に取り入れたりと、
    かなり丁寧・小まめな対応をしていた感じなんですね。
    常に刷新・アップデートを欠かさない、それこそがヤマト朝廷が国を治める者・強者たりうる方法だったのかもしれません。

    • ありがとうございます♪
      身という解説になっていましたが、私も耳のイメージを持っておりました。
      葦原中国の情報をキャッチしていて高天原に残った方が安全で快適だと思ったとかかと。笑
      天津神の細やかな気遣いや柔軟性があるからこそ、天皇家は続いているのかも知れません。

  4. ニニギと聞くと、お菓子屋さんの仁々木しか思い出さなかったですが、ここでニニギに出会ってビックリ!
    ニニギノミコトっていう人もいましたよね…。、
    ニニギって、古くからある名前だってこと、わかりました❤️

    • ありがとうございます♪
      お菓子屋さん、存じませんでした。
      ググったら京都の美味しそうな和菓子屋さんなんですね!

  5. ハルさん、いつも楽しく拝見しています。

    せっかく大国主が国づくりを完成させた繁栄する地上世界を見て、天照大神は、私の孫が治めると言ったのは、何故でしょうか。
    不思議でたまりません。
    大国主が国を譲り、権力の二重構造が出来ました。
    何故国譲りをしたのか、
    その理由が分からないので、どうもしっくりこないのです。
    そのあたり、どう考えたら良いでしょうか。

    • しのぶさん
      ありがとうございます♪♪
      さてご質問の件ですが
      大国主が国作りをしましたが、天照大御神は天津神で大国主は国津神という立場です。
      神話上かなりの格差があります。
      大国主はスサノオの子孫にあたるので、天照大御神にとっても親戚ではありますが、公平な立場ではありません。
      荒れた土地をある程度整備させたら自分の物にするという発想は権力者にありがちではないでしょうか。
      この国譲りの場面は「頑張った会社を大きな会社が買収する構造に似ている」と言う人もいて、プレジデントという雑誌を読んでいたら「古事記のこのシーンを読むと泣きそうになる」と書いている経営者がいらっしゃいました。

      古事記はあくまで8世紀初めに天皇家の立場から書かれた物なので、出雲に館を建てることで穏便に国譲りをしたように書かれていますが、実際は戦争だったかもしれません。
      出雲は敗れたもののその後も巨大な勢力を持っていたとみられます。
      第10代崇神天皇のところやヤマトタケルの出雲征伐など様々なところから出雲が一大勢力を誇っていたことが感じ取られます。

      ここからは私見です
      古事記には筑波山くらいまでしか描かれていませんが、実際には日本全国に小さな王朝が存在していたと考えています。(銅鏡などが各地で発見されることから)
      古事記の(特に上巻)創作目的は
      その中でいかに天皇家がトップに立ったかを各国の神話を参考にしたり、
      読者に古事記編纂時の天皇であった文武天皇(持統天皇の孫)を天孫ニニギと重ね合わせさせることによって天皇家を神格化することだったのではないかと思っております。

      ご参考になれば嬉しいです。
      あくまで神話の解釈なので、他のご意見もあると思います。
      これからもコメントいただけるととても嬉しいです!

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