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これまでのあらすじ
この回に出てくる神の名前がとても似ているので
「タケミナカタ(建御名方神) 」は岩を持ったということから「タケミナカタ🪨」
「タケミカヅチ(建御雷神) 」は雷の神なので「タケミカヅチ⚡️」
と表記します。
「タケミナカタ(建御名方神) 」は岩を持ったということから「タケミナカタ🪨」
「タケミカヅチ(建御雷神) 」は雷の神なので「タケミカヅチ⚡️」
と表記します。
「オオクニヌシ(大国主命)」が平定した地上(葦原中国)を「アマテラス(天照大御神)」は
「私の子に統治させたいわ」
と言い出します。
まず「ホヒ(天菩日神)」ついで「ワカヒコ(天若日子)」を地上に送りましたがいずれも失敗。
最後に「タケミカヅチ(建御雷神)⚡️」を送りました。
「タケミカヅチ((建御雷神)⚡️」は「オオクニヌシ」に国譲りを迫ります。
すると「オオクニヌシ」は息子「コトシロヌシ(言代主神)」に聞くように言いました。
そして「コトシロヌシ」はあっさりと国譲りを了承しました。
「タケミナカタ🪨」
「タケミカヅチ⚡️」に服従する
「古事記」におけるこの場面
タケミカヅチ
「コトシロヌシ」は国を譲ると答えたが
他に相談すべき御子はいるか。
他に相談すべき御子はいるか。
オオクニヌシ
もう1人だけいます。
「タケミナカタ🪨」という者です。
「タケミナカタ🪨」という者です。
タケミナカタ
力比べをしようではないか。
しかし「タケミカヅチ⚡️」には全く歯が立たず投げ飛ばされてしまいました。
「タケミナカタ🪨」は逃げますが「タケミカヅチ⚡️」は追っていきます。
そして長野県の諏訪湖に追い込み殺そうとしました。
すると
タケミナカタ
この地に留まって他にどこにも行きませんから、どうか殺さないで下さい。
父「オオクニヌシ」にも「コトシロヌシ」にも背きません。
この葦原中国は「アマテラス」の御子に奉(たてまつ)ります。
父「オオクニヌシ」にも「コトシロヌシ」にも背きません。
この葦原中国は「アマテラス」の御子に奉(たてまつ)ります。
「タケミナカタ🪨」とはどんな神か
「タケミナカタ🪨」は「オオクニヌシの系譜」にも「日本書紀」にも登場しない神です。180人いる「オオクニヌシ」の子供の1柱としてここで突如登場します。
(「オオクニヌシ」と「ヌナカワヒメ(奴奈川姫)」の子供だという説もあります。)
「タケミナカタ🪨」を名前から考える
「タケ」…神の勇猛さを讃える美称
「ミナカタ」…諏訪湖の水潟か?
「ミナカタ」…諏訪湖の水潟か?
諏訪大社の縁起が書かれた「諏訪大明神絵詞(スワダイミョウジンエコトバ)」によると「タケミナカタ🪨」は 出雲勢力や大和勢力と接触する前から諏訪大社に祀られていたとされています。
ですから、元々諏訪地方で信仰されていた土着の神であると考えられます。
「タケミナカタ🪨」を「古事記」に登場させた理由
「オオクニヌシ」の系譜にも登場しない「諏訪の神」である「タケミナカタ🪨」をこのような重要な場面で登場させたことについては多くの議論があります。現在は「古事記」編纂の後にこの説話を組み込んだのであろう
という考えが主流です。
つまり「タケミナカタ🪨」は「オオクニヌシ」の子供ではなく「諏訪の神」ですが何らかの理由でここに挿入したのだろうということです。
「タケミナカタ🪨」を「古事記」に登場させた理由は数多くの書かれていますが、私が共感する3つを紹介します。
①諏訪は古来、東北の辺境の地への抑えの要所だった。
そのため、諏訪で崇められていた「タケミナカタ🪨」を「古事記」に組み込むことによって諏訪の権威を高めた。
②どんなに強くても国津神では「タケミカヅチ⚡️」(朝廷側であり中臣氏が信奉する神)に敵わないと言いたかった。
と同時に「タケミカヅチ⚡️」の神威性を高めた。
③出雲族がヤマト朝廷に服従した後も、高志族(北陸)が反抗し続けていて、その後ようやく平定できたという史実が反映されているのではないか。
「タケミナカタ🪨」が出雲水路で北陸まで行き糸魚川あたりの水系を通って諏訪湖まで逃げたと考えると「ヌナカワヒメ伝説」と共に「古事記」に挿入された意図が想像できる。
そのため、諏訪で崇められていた「タケミナカタ🪨」を「古事記」に組み込むことによって諏訪の権威を高めた。
②どんなに強くても国津神では「タケミカヅチ⚡️」(朝廷側であり中臣氏が信奉する神)に敵わないと言いたかった。
と同時に「タケミカヅチ⚡️」の神威性を高めた。
③出雲族がヤマト朝廷に服従した後も、高志族(北陸)が反抗し続けていて、その後ようやく平定できたという史実が反映されているのではないか。
「タケミナカタ🪨」が出雲水路で北陸まで行き糸魚川あたりの水系を通って諏訪湖まで逃げたと考えると「ヌナカワヒメ伝説」と共に「古事記」に挿入された意図が想像できる。
はるさん的補足
戦いに敗れたのに武神となった
「タケミナカタ🪨」
「タケミナカタ🪨」は「タケミカヅチ⚡️」に全く歯が立たず、逃げた上に命乞いをするあまり強そうでない神に見えます。
しかし「タケミナカタ🪨」は平安時代に「東国の武神」として名を高めます。
何故でしょうか。
先に意見を求められた「オオクニヌシ」の息子「コトシロヌシ」は神の言葉を聞いたとし、即座に降参し隠れてしまいました。
しかし、「タケミナカタ🪨」は「タケミカヅチ⚡️」という圧倒的に強い神に対しても臆することなく戦いを挑み、しかも生き残りました。
そのため「タケミナカタ🪨」は「武勇掲揚の神」になります。
「タケミナカタ🪨」を祀る「諏訪大社」は鎌倉時代には北条氏が後ろ楯となり、武士の守護神として各地に勧請されました。
その後も武田信玄公や徳川家康公に崇敬され、現在では分社「諏訪神社」は5000社以上あると言われています。
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)
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