(61)『古事記』「ワカヒコ」の葬儀「アジスキタカヒコネ」
阿遅志貴高日子根(あじすきたかひこね)

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『古事記』「ワカヒコ」の葬儀「アジスキタカヒコネ」

これまでのあらすじ

オオクニヌシ」の地上平定が終わると「アマテラス」は
私の子供に地上を治めさせたいわ!
と言い出しました。

葦原中国を譲って貰おうとして、高天原から「ホヒ」次に「ワカヒコ」を送りましたが2人も何もしませんでした。

さらに「ワカヒコ」は「アマテラス」を裏切ったとされ、神罰が下って亡くなってしまいました。

「ワカヒコ」の葬儀「アジスキタカヒコネ」

この記事に登場する神々の系譜

「古事記」におけるこの部分

夫である「ワカヒコ(若日子)」に死なれて「シタテルヒメ(下照姫)」の嘆き悲しむ声が高天原まで届きました。

高天原にいた「ワカヒコ」の父「アマツクニタマ(天津国玉神)」やその妻は地上に降りて来て泣き悲しみました。

そこで早速、葬儀(もがり)を行う喪屋(モヤ)を作り

・河の畔に住む雁(カリ)
 棺に寄り添って死者に捧げる食べ物を頭に乗せてゆく役
鷺(サギ)を 
 喪屋を掃除する役
翡翠(カワセミ)を 
 死者に食べ物を供える役

 米を炊く役
雉(キジ)
 葬式の際泣く役
にしました。

そして8日8晩、死者の霊を慰めるために歌い踊りました。

その時「シタテルヒメ」の兄である「アジスキタカヒコネ(阿遅志貴高日子根神)」がやってきました。

すると「ワカヒコ」の両親は
ワカヒコの両親
息子が生き返った!
死んでなかったんだわ!

と言って喜び「アジスキタカヒコネ」に抱きつきました。

ワカヒコ」と「アジスキタカヒコネ」はとてもよく似ていたので見間違えたのです。

すると「アジスキタカヒコネ」は激怒し、
アジスキタカヒコネ
ワカヒコ」は俺の親友だから来てやったのに、俺を穢らわしい死者と間違えるとはなんだ!

と言い、持っていた剣で喪屋を切り壊し蹴ってしまいます。

喪屋は岐阜県まで飛び喪山という山になりました。

アジスキタカヒコネ」が激怒して名前を明かさず飛び去って行く時「シタテルヒメ」は「ワカヒコ」の両親に誤解を解くために「アジスキタカヒコネ」の輝くような徳を称えた歌を歌いました。

ワカヒコ」の両親は高天原から来たばかりなので「アジスキタカヒコネ」を知りません。

シタテルヒメ」が兄と義理の両親への深い愛情を示したエピソードでしょう。

岐阜県喪山の位置

葬儀に多くの鳥が出てくる理由

鳥は霊の運搬者

喪屋とはご遺体を置くためだけに建てられる小屋です。

そこで8日8晩歌い踊ったということは死者の蘇りを祈ったものと思われます。

鳥は霊の運搬者だとされていたので「ワカヒコ」の両親が「アジスキタカヒコネ」を見て生き返ったと思い喜んだのも頷けます。

出雲では鳥葬をしていた

古代、鳥葬は出雲だけでなく日本や世界各地で行われていました。

亡骸を鳥が啄むことによって骨になり、白骨化したら川で洗い埋葬していたそうです。

鳥が死者の魂を天に運び天に返すと考えられて来ました。

そうして鳥は天と地を結ぶ役目を果たすという鳥信仰が生まれました。

鳥葬の名残りでこの場面にもたくさんの鳥が役目を果たしていたのかもしれません。

「アジスキタカヒコネ」とはどんな神か

アジスキタカヒコネ」は「古事記」では「阿遅志貴高日子根神」と表記されています。

(ですから「アジキタカヒコネ」と読む場合もあります。)

名前を分解してみましょう。

・「阿遅(アジ)」…「ウマシ」と同義語で素晴らしいという意味
  (「ウマシアシカビヒコヂ」という別天津神がいましたね。)
・「志貴(スキ)」…鋤(を神格化している)
・「高日子根(タカヒコネ)」…高く輝く太陽の子
つまり「立派な鋤の、高く輝く太陽の子」という農業神です。

古墳時代前期の鋤 (稲荷山古墳出土)

古事記」ではこの場面しか登場しませんが「出雲風土記」では「多伎都比古(タキツヒコ)」という「雨の神」の父とされています。

はるさん的補足
「ワカヒコ」のエピソードにはモデルがいた?

ブリューゲル「バベルの塔」(1563年頃)左下の白い服を着ている男性が「ニムロド」


ワカヒコ(天若日子)」のエピソードと似た話があります。

ユダヤの聖書「タルムード」に含まれる「ニムロドの矢」というお話しです。

メソポタミアの民話が出典とも言われています。

ニムロド」は「ノアの方舟」のノアの孫で「バベルの塔」の建造を企画発案した人物とされています。

つまり神への反逆(思い上がり)をしたのです。

ニムロド」には数々のエピソードがありますが、その中に
ニムロドが神を目掛けて矢を射ると跳ね返され自分の胸板を貫いてしまった
というエピソードがあります。

・神に反逆した者が報いを受ける
・返し矢
という点が「ワカヒコ」のエピソードと共通しており、影響を受けていることは間違いないでしょう。

古事記」が成立した8世紀初頭には世界の多くの書物が日本に入っていたことがわかりますね。

古事記の他の記事

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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