(162) 『古事記』雄略天皇に忘れられていた女性 引田部赤猪子
蓮の花ような若い人が羨ましい と歌いました

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これまでのあらすじ

第21代 雄略天皇が即位しました。

古事記」には雄略天皇のエピソードが幾つか載っており、

前回は皇后となった若日下部王(ワカクサカベノミコ)に求婚しに行くお話しでした。

引田部赤猪子

三輪山

またある日、雄略天皇三輪美和河(ミワガワ 初瀬川が平野部を下って三輪山に接して流れる辺り) で遊んでいた時に
その川のほとりで洗濯をしてた少女がいました。

その少女の姿が非常に麗しかったので、
雄略天皇はその少女に

雄略天皇
おまえは誰の子か?


と尋ねました。

その少女は

引田赤猪子
私の名前は、
引田部赤猪子(ヒキタノアカイコ) です


と答えました。

そこで、雄略天皇

雄略天皇
お前のことは私が妻にするから、
何処へも嫁に行くではないぞ!

まもなく宮に召し入れるからな。


と言いました。

赤猪子は、その言葉を信じて
雄略天皇が嫁に迎えに来てくれるのを待っていましたが、

待っても待っても迎えに来ることはなく
とうとう80年 (とても長い間 ) 経ってしまいました。

そこで赤猪子

赤猪子
天皇のおっしゃったことを信じてお待ちしている間に、
早くも多くの年月が経ってしまったわ。

自分は痩せ衰えてしまい、自慢の容姿も衰えてしまった。

でも、待ち続けて今に至ってしまった私の気持ちを、
天皇に洗いざらい打ち明けてお見せしたいわ!

そうでないと、心の憂さにたえられない!!


と思い、
沢山の献上品を従者に持たせて、雄略天皇の元を訪ねました。

ところが雄略天皇は、昔の約束などすっかり忘れており
赤猪子に向かって言いました。

雄略天皇
お前はどこのお婆さんかね?

なんで私の元を訪ねて来たのだ。

赤猪子
その昔、ある年のある月に
陛下が私に

『わしが嫁に迎えに来るから待っておれ』
と仰って下さいました。

私は、いつかいつかと心待ちに待っていました。
しかし待てど暮らせどお迎えはなく
とうとう80年も経ってしまいました。

今ではもう容貌も衰えてしまい
『陛下のお嫁さんにしていただきたい』
とは思ってもおりません。

でも、せめてこの気持ちだけでも知っていただきたいと思い、参上いたしました。

それを聞いて雄略天皇はたいそう驚いて

雄略天皇
私はそんなことすっかり忘れていたよ、、、。

なのにお前は私の迎えをひたすらに待っていて
若くて一番良い時を過ごしていたとは
愛おしく悲しい。

そう言って一旦は赤猪子を妻に迎えようと思いましたが、
すっかり老いた赤猪子との結婚は不可能だと思い、歌を贈りました。

雄略天皇
🍃三輪山(大神神社)に厳かにそそり立つ樫の木の
その樫の木の元に恐れ多くも貴い樫原乙女🍃

(神聖過ぎて触れられなかったよ)

🪴

🍃引田の栗の林の中に若い木が生えている
その若い木のように若い頃であったなら一緒に寝ておきたかった
こんなに老いてしまっているとは🍃

雄略天皇が「老いた」と言ったのは

雄略天皇と赤猪子共に老いてしまった

という意味だったとする解釈と

赤猪子だけが老いてしまった!

 (ご自分のことは棚に上げ、赤猪子に「老けたなあ」と言っている )

という2通りの解釈があります。

栗の林

この歌を聞いて、赤猪子は着ていた着物の裾が濡れるほどに大泣きしました。


そして雄略天皇のお歌に答えて歌を歌いました。

赤猪子
🍃三輪の社(大神神社) を取り巻くように造った玉垣
その玉垣を造るために準備した石が余ってしまったかのように
私の身も用無きものかのように この歳になってしまいました🍃

(もはや私は陛下からも、他の人からも必要とされない人間になってしまいました。)

             🪴

🍃日下の港に蓮の花が咲いています。
その花の盛りのように今を盛りと遊いでいる乙女達
私にもあんな頃があったと羨ましく思います🍃

( 日下というのは、皇后となった若日下部王がいらした場所です。
自分も美しかった頃もあったのに。
今、美しい
若日下部王が羨ましい。)

大神神社(奈良県)

雄略天皇赤猪子に多くのみやげ物を持たせ、お国へと帰しました。

赤猪子を愛おしく思った雄略天皇は、せめてものお詫びにと、

欲しいものを全て選ばせ、

家臣の中で一番の美男に運ばせたという伝承もあります。

この4首の歌は 志都歌(シズウタ) といいます。 

はるさん的補足 引田赤猪子について

引田赤猪子について「古事記」にはこれ以上の記述はありません。

80年というのは長い年月という意味でしょうから、

老女といっても、せいぜい40歳位だったかもしれません。

想像ですが、、、

① これまでに赤猪子は多くの男性から求婚された。

② しかし、雄略天皇のお言葉を信じて 

(または、他の人と結婚したら罰せられると思って)

嫁に行かなかった。

雄略天皇の元を自ら訪れて、自分の状況をはっきりさせた。

④ 財産と美男を与えられて国に返された。

という流れだったのではないでしょうか。

赤猪子雄略天皇を訪ねて行ける、しっかりした女性です。

これまでの人生は気の毒でしたが、雄略天皇妻の1人にされていたより

この後、赤猪子は幸せな人生を送れたようにも思えます。

🍃

現在の桜井市初瀬付近 (雄略天皇の宮の近く)引田部という部民が住んでいたようです。

そしてその付近にはが多かったようなので、

引田部赤猪子」というお名前の女性は実在した可能性があります。

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. さゆ より:

    雄略天皇は、自分の言った大事な言葉を忘れるとは、困りものですね。乱暴な御気性もおありなので、もう1つの短所ですね。訪ねてきた、年をとった赤猪子を追い返すかとも思いましたが、気遣ったのは、雄略天皇の対応では、良い方だったかもしれませんね。
    余談ですが、最近来日した、モンゴルのオフナー・フレルスフ大統領は、日本で28年前にホームステイをし、その時のホストファミリーに対して、将来モンゴルに招待すると約束したそうです。大統領になった約1年後の今年、約束通りモンゴルに招待したそうです。約束を守ることは大事な事だと言っていました。
    赤猪子は、もっと若いころ訪ねて行けば、良かったと思いますが、ご無理だったのでしょうね。
    部民名と土地の生き物を合わせるお名前面白いです。御本人、土地に愛着が湧くかもしれないですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      雄略天皇には困ったものです。
      赤猪子さんの青春は待っているだけで終わってしまいました。
      老婆という表現が良くないです。
      この後の人生が幸せだったといいですね!

      モンゴルの大統領は素晴らしいですね。
      爪のアカを雄略天皇にプレゼントしたいです(笑)
      土地と氏が同じことはよくあるようです。

      ○○の某と名乗っていたようです。
      古事記でも葛城の襲津彦
      吉備津日子命などは土地を名乗ったのだとおもいます。

  2. ミカリン より:

    雄略天皇は、美しい女性をみたら、気楽に求婚を口走っていたので、ひとつひとつを記憶していなかったのでしょうね。それを間に受け、待ち続けた女性にも問題ありそうです。でも天皇の気まぐれで人生棒に振ってしまった女性は気の毒です

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      本当に見境なく口説いて(求婚して)いたのでしょうね
      困ったお方です。
      赤猪子さんももう少し早く確かめれば、、、でも、雄略天皇ってオッカナイし、、、。笑
      この後は財宝とイケメンを手にしてウキウキだったと願います

  3. 才色健躾 より:

    此度のお話は憤りを感じます。
    今までの経緯を伺いますと雄略天皇は間違いなく自身をさておき後者の思ひと思います。
    また帰り際に美男子を伴につけたと云う事は「これで納得しなさい」と仰っているかのように思えます。
    今回のみはあきれ返る天皇です。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      雄略天皇を「古代のジャイアン」と呼ぶ人もいますが、傍若無人で思ったまま行動する人だったんでしょうね。
      でも、せめてものお詫びに財宝とイケメン、、、赤猪子さんのその後の人生は楽しいものとなっていたら良いですね。

  4. 久子 より:

    はるさんの考察のように、美しい方だから降るように縁談があったのに、全て断らざるを得なかったのでしょうね。残酷な話だなあ。人生返せと言いたいですよね。天皇も、自分の言動の影響力を良く考えて欲しいものです。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      残酷な話しです。泣
      似たようなことは、今もあるのでしょうけれど、、、
      雄略天皇は本当に好き勝手やってたんでしょうね。
      赤猪子さんにはこの後、絶対に幸せでいて欲しいです!

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