『古事記』で最初に出現「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」
天之御中主神(アメノミナカヌシ)

天之御中主神は「古事記」に一番最初に登場する神です。

独神として出現しましたがすぐに身を隠してしまったので、どのような神かはわかりません。

天津神(アマツカミ)造化三神(ゾウカサンシン)に所属します。

天津神とは

高天原にいる神々のことです。

(↔️国津神)

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「古事記」に出てくる天之御中主神

本居宣長展 パンフレットより
はる
上の写真は本居宣長が使われていた「古事記」の写本の冒頭です。
一行目に天之御中主神は登場します。

古事記における「天地の創成」「特別な天津神と神世七代(カミヨナナヨ)」

天之御中主神を祀る石清水社(石清水八幡宮)

天と地とが初めて分かれて開闢の時に、高天原に現れ出た神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)です。

この三柱の神は、すべて単独の神(一対の男女揃っていない神)として出現した神であり、姿形を現わしませんでした。

・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

・高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)

・神産巣日神(カミムスヒノカミ)

の三柱を造化三神とよびます。

はる
古事記の「天地の創成」全文の読み解き
「古事記」における国之常立神 御岩神社に行ってきました 
をご参照ください。

さらに

その後出現する 

宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコノカミ)

天之常立神(アメノトコタチノカミ)

と合わせて別天神(コトアマツカミ・天津神の中でも別格という意味)と呼ばれます。

天地開闢の神々の表

もちろん一番上にいらっしゃいます

天之御中主神とはどんな神か

古事記によると

天之御中主神は古事記では最初に登場する神です。

独神(対になっていない)で、姿を現さなかったということなので「出現した」と言っていいかも疑問ですね。

これが天之御中主神について書かれていることの全てです。

造化三神とは

天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神は造化三神といわれます。

造化」とは万物を生成する作用という意味と捉えられていますが

造化」という言葉は道教系の書物に頻出する言葉なので、この三神の神格や配列には道教思想の影響があると考えられています。

造化三神の仲間である高御産巣日神・神産巣日神がその後も「古事記」に出てくるのに対し天之御中主神は登場しないことから、天之御中主神は古くから信仰されてきた神というわけではなく記紀神話(古事記、日本書紀)を編纂する時期に近い時期に観念的に創出された神であろうと考えられます。

道教思想が日本にいつ頃入ってきたかははっきりわかっていませんが

垂仁天皇の時代の「常世国の実」などに道教思想の影響がみられます。

天之御中主神を名前から考える

天之御中主神をお名前から考えた一般的な解釈は

「天」、、、天上、高天原

「御中」、、中央

「主」、、、主宰者や主君の意

つまり天之御中主神天の中央の主の神というように解されます。

ただし「」が天上や高天原だけを指すのではなく、天地両方を指すのではないかという解釈もあります。

信仰される天之御中主神


天之御中主神は日本神話に最初に出てくる至高の神であり、具体的な記述がない観念的な存在であることから多くの解釈や信仰が生まれています。

伊勢神道

中世に伊勢で発達した伊勢神道では伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の祭神である食物・穀物の神である豊受大神(トヨウケビメ・古事記では豊宇気毘売神と書く)と同一視されます。

はる
豊宇気毘売神
伊邪那美命(イザナミ)が亡くなった時に尿から生まれた
和久産巣日神(ワクムスビ)の娘とされています。

伊勢神宮の外宮は雄略天皇の夢に天照大御神(アマテラスオオミカミ)が現れ

「自分一人では食事が安らかにできないので丹波の国の真名井にいる豊受大神を近くに呼びよせるように」

と神託したことから創建されたとされています。

伊勢神宮外宮が創建されたことは古事記や日本書紀には記述がありません

伊勢神道の主唱者外宮の神職度会氏であったため、外宮を始原神である天之御中主神であると位置づけることで、内宮に対する優位を主張するものだったと考えられています。

吉田神道

伊勢神宮の影響を受ける吉田神道では国之常立神天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置つけました。

平田篤胤らによって形成された復古神道

江戸時代の国学者である平田篤胤(ヒラタアツタネ)らによって

「儒教や仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろう」という思想から生まれた復古神道では天之御中主神は最高位の究極神とされています。

妙見社など

妙見社は道教における天の中央の至高神信仰です。

北極星・北斗七星信仰、さらに仏教の妙見信仰(妙見菩薩・妙見さん)と習合され天之御中主神を祀っています。

妙見社は秩父神社や千葉神社など全国にあります。



このようなことからも、天之御中主神は古くから信仰されてきた神というよりも記紀編纂の少し前の時期に道教の影響から創作された神ではないかと見ることができます。

しかし、日本で最初に誕生した神であり生成力を神格化であることから、信仰や創作の対象となり、ゲームのキャラクターなどにもなっています。

天之御中主神、お名前を覚えておいてくれると嬉しいです!

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コメント一覧
  1. この度もはるさんの解説無しではとても分かりにくい事柄です。
    本居宣長さまのパンフレットの一行目、確かに「天之御中主神」と記されております…
    これは疑いようのない最初の神さまではないのでしょうか…
    また万物を“生成”する造花三神であれば尚のこと存在意義のあります神さまと思われます
    人は猿の進化ではなく人として生成されました裏付けの一つではないかとも思います。
    本居宣長さまの一行目に記されました理由…のちのちの世に確固たる事実を投げ掛けていらっしゃる様に私は捉えます。

    • ありがとうございます♪
      天之御中主さまはどのようにも解釈していいのかもしれませんが日本神話に登場する最初の神であることは間違いないのでしょう。
      天地開闢の観念的な存在として、後から追加された神であったとしても敬われるべき存在だと宣長も認めていらっしゃることでしょう。
      豊受大神宮のトヨウケビメと同一視するという吉田神道について宣長がどう考えていたか知りたいです。
      文献を探しているので見つかったら
      書かせていただきますね。
      なにせ、松阪と伊勢は近いのですからね。
      天地開闢や天地創造は「人間って自己中だな」と思うところです。
      古事記では日本の神々が世界を作ったことになってますし、、、笑

  2. 天之御中主神は、観念的な神なのですね。天の中央の神ですから最高の位の感じがします。伊勢神道、吉田神道、復古神道、妙見社といろいろ学べました。
    道教の影響から作られたといえるということですが、仏教、儒教、道教の違いをいつか教えていただければ嬉しいです。

    • ありがとうございます♪
      天之御中主さまは最高位であり日本の観念(良心?)なのかも知れないですが、後から追加されたと考えられますね。
      タカミムスヒやカミムスヒは古事記や日本書紀に度々登場しています。
      具体的な記述がない分、想像力とか権力欲や新しい信仰の対象になるのでしょうね。
      天之御中主さまは息子がやっていたゲームのキャラクターのお一人になってますし、これからも自由な創作に使われそうですね!

  3. 古代、シャーマンのような人物が、目に見えない大いなる存在に感応して神として名前をつけて崇めたのでしょうか?
    自然と共に生きていた創成期の人々の感性は、現代人には計り知ることができません。
    タイムスリップして、神というものの成り立ちを見てみたいものです

    • ありがとうございます♪
      ギリシャ神話のカオスやキリスト教の上位天使たちも姿がないのと似ていますね。
      古事記では日本の神々が世界をつくったことになっていますから、フワッと説明して「あまり詳しく聞かないでね〜」という観念なのかも知れません。
      夜は真っ暗になり、天候次第で作物もできなくなっていたし、疫病が流行れば大勢の方が亡くなってしまっていた時代、神を身近に感じられたように思います。
      国之常立の方に書いた御岩神社さんなど、今でも神を感じました。

        • ありがとうございます♪
          天の真ん中にいらっしゃる主、と考えると覚えやすいかも(笑)

  4. ちょうど&ついこの間、元伊勢籠神社に行ってきたのですが、そちらの御由緒でも「豊受大神は天之御中主神だという説がある」といった記述がありました。
    謎が多いだけに、いろんな事が言われる神様ですね。
    あと記事を拝読していて、そういえば記紀には外宮さんについての記述無いなと思いました。いろいろな思想・経緯のハイブリッドが記紀にはじまる日本の神話なのでしょうか。
    (そういうミックス混ぜこぜなのがまたある意味とても日本らしくていいなとも♪)

    • ありがとうございます♪
      神仏混交したり、無理やり?同一の神だったと言ってみたりするのが日本人の鷹揚さを示しているように思います。
      外宮が創建されたのが雄略天皇の時代だったというのを信じるとしたら、その時代から吉田神道が生まれる室町時代までは豊受大神を重要視していなかったのかもしれません。
      度会氏が豊受大神宮を先にお参りするように指導?したおかげで外宮の地位が上がったと考えられるかもしれません。

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