前の記事(69)天孫降臨②「ニニギ」高千穂に降臨する
次の記事(71)ニニギとコノハナサクヤの出会い
と、おっしゃいました。
こうして「アメノウズメ」は「サルメ(猿女)」と呼ばれるようになりました。
一方、「サルタビコ神」は伊勢の阿邪訶(アザカ)にいる時に、漁をしていて比良夫貝(ヒラブガイ)(海の妖怪)に手を挟まれて海に沈んでしまいました。
それで
ところで「アメノウズメ」は「サルタビコ神」を送って伊勢に辿り着くと 大小の魚を集めて
と聞きました。
魚たちは
と答えましたがナマコは何も答えませんでした。
怒った「アメノウズメ」はナマコの口を小刀で裂いてしまいました。
それで今にいたるまで、ナマコの口は避けているのです。
このようなわけで志摩から初物の供え物が献上される時には、猿女君に下されるようになりました。
「アメノウズメ」は「天の岩戸開き」の神事にも「アマテラス」に岩を開かせるために重要な働きをしました。
そして今回は返事をしないナマコの口を裂きました。
つまり、「アメノウズメ」は閉じている物や塞がっている物を開ける役割があるようです。
一方「サルタビコ神」は天と地の境界線に現れ、高天原と葦原中国をつなぐ役割をしました。
そしてこの場面で、伊勢の阿邪訶(アザカ)にいる時に、漁をしていて比良夫貝(ヒラブガイ)に手を挟まれて海に沈んでしまいました。
今度は地上と海をつなげたと考えられます。
つまり「サルタビコ神」は天と地と海をつなぐ重要な神で、それを可能にしたのは「アメノウズメ」の開く能力との連動による物だと言えるでしょう。
「サルタビコ神」と「アメノウズメ」は一説によると結婚したと言われ、伊勢「猿田彦神社」内には「アメノウズメ」を祀る「佐瑠女神社」があり、同じ所で祀られています。
稗田阿礼らを祀る賣太(メタ)神社(奈良県)
「アメノウズメ」は「サルタビコ神に乳房を見せて名前を聞き出した女神」だと思ってる方がいっらっしゃいますが、それは「日本書紀」にある記述です。
「古事記」では「サルタビコ神」の前で肌も見せていません。
何故違うのでしょうか。
「古事記」は天武天皇が「帝紀」と「旧辞」を定め、稗田阿礼に誦み習わせ、それを太安万侶が書写した物と言われています。
ですから稗田阿礼(ヒエダノアレ)の意向が強く反映されているでしょう。
稗田阿礼は「アメノウズメ」の子孫だと言われており、「日本書紀」よりも上品な「アメノウズメ」を描きたかったのかもしれませんね。
次の記事(71)ニニギとコノハナサクヤの出会い
次の記事(71)ニニギとコノハナサクヤの出会い
これまでのあらすじ
「アマテラス(天照大御神)」の天孫「ニニギ(邇邇芸)」は地上を統治するために、多くの神々と三種の神器と共に高千穂の地に降臨しました。「アメノウズメ」と「サルタビコ神」
「ニニギ」は「アメノウズメ(天宇受売命)」にニニギ
私を先導した「サルタビコ(猿田毘古大神)」は、その正体を明かしたお前が送ってやれ。
そしてお前はその神の名を継いで仕え奉るのだ。
そしてお前はその神の名を継いで仕え奉るのだ。
こうして「アメノウズメ」は「サルメ(猿女)」と呼ばれるようになりました。
一方、「サルタビコ神」は伊勢の阿邪訶(アザカ)にいる時に、漁をしていて比良夫貝(ヒラブガイ)(海の妖怪)に手を挟まれて海に沈んでしまいました。
それで
・海に沈んでいる時の名を底度久御霊(ソコドクミタマ)といい
・海水が泡立つ時の名を都夫多都御霊(ツブタツミタマ)といい
・泡が割れる時の音を阿和佐久御霊(アワサクミタマ)といいます。
・海水が泡立つ時の名を都夫多都御霊(ツブタツミタマ)といい
・泡が割れる時の音を阿和佐久御霊(アワサクミタマ)といいます。
ところで「アメノウズメ」は「サルタビコ神」を送って伊勢に辿り着くと 大小の魚を集めて
アメノウズメ
ニニギに仕えるか
魚たちは
魚たち
お仕えします
怒った「アメノウズメ」はナマコの口を小刀で裂いてしまいました。
それで今にいたるまで、ナマコの口は避けているのです。
このようなわけで志摩から初物の供え物が献上される時には、猿女君に下されるようになりました。
「サルタビコ神」と「アメノウズメ」の関係
「サルタビコ神」は先導役なのですが、それを可能にしたのは「アメノウズメ」が名前を聞き出す大役を果たしたことによるものでした。「アメノウズメ」は「天の岩戸開き」の神事にも「アマテラス」に岩を開かせるために重要な働きをしました。
そして今回は返事をしないナマコの口を裂きました。
つまり、「アメノウズメ」は閉じている物や塞がっている物を開ける役割があるようです。
一方「サルタビコ神」は天と地の境界線に現れ、高天原と葦原中国をつなぐ役割をしました。
そしてこの場面で、伊勢の阿邪訶(アザカ)にいる時に、漁をしていて比良夫貝(ヒラブガイ)に手を挟まれて海に沈んでしまいました。
今度は地上と海をつなげたと考えられます。
つまり「サルタビコ神」は天と地と海をつなぐ重要な神で、それを可能にしたのは「アメノウズメ」の開く能力との連動による物だと言えるでしょう。
「サルタビコ神」と「アメノウズメ」は一説によると結婚したと言われ、伊勢「猿田彦神社」内には「アメノウズメ」を祀る「佐瑠女神社」があり、同じ所で祀られています。
はるさん的補足 「アメノウズメ」日本書紀との表現の違い
「古事記」では「サルタビコ神」の前で肌も見せていません。
何故違うのでしょうか。
「古事記」は天武天皇が「帝紀」と「旧辞」を定め、稗田阿礼に誦み習わせ、それを太安万侶が書写した物と言われています。
ですから稗田阿礼(ヒエダノアレ)の意向が強く反映されているでしょう。
稗田阿礼は「アメノウズメ」の子孫だと言われており、「日本書紀」よりも上品な「アメノウズメ」を描きたかったのかもしれませんね。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)
前の記事(69)天孫降臨②「ニニギ」高千穂に降臨する次の記事(71)ニニギとコノハナサクヤの出会い