瀬織津姫(セオリツヒメ)は、大祓詞や古史古伝のホツマツタヱ、神社伝承などで存在が知られる「あらゆる罪・穢を祓い去る」神様です。
水神や祓神、瀧神、川神であるとされ伊勢神宮などで祀られています。
しかし古事記や日本書紀には記されていません。
今回は瀬織津姫がどのような姫なのか、また瀬織津姫を通して「古事記」が編纂された目的を考えてみたいと思います。
瀬織津姫とは
瀬織津姫は古事記や日本書紀には記載がありませんがどんな神だったでしょうか。
書かれている文献、祀られている神社などから考えていきましょう。
瀬織津姫の表記
瀬織津姫は瀬織津比咩・瀬織津比売・瀬織津媛と表記されることがあります。
「延喜式」に登場する瀬織津姫
「延喜式」(50巻)は、平安時代中期 醍醐天皇の命により律令の施行細則をまとめた法典です。
「延喜式」は、
巻1~巻10=神祇官(じんぎかん)関係の式(そのうち神名式は神名帳ともよばれる)
巻11~巻40=太政官(だいじょうかん)八省関係の式
巻41~巻49=それ以外の官庁関係の式
巻50=雑式
と構成されています。
「六月晦大祓詞(オオハラエのコトバ)」に登場
瀬織津姫は延喜式巻8の「六月晦大祓詞」の箇所に登場します。
「大祓詞」とは毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した「罪」「穢れ」を祓うために唱えられた祝詞です。
中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称があります。
「六月晦大祓詞」は
(1)朝廷官人への祓の実施の周知
(2)日本の人々による罪の発生から神々による罪の消失に至る祓のプロセスの周知
(3)卜部への指示の周知
3要素から構成されます。
瀬織津姫が登場するのは(2)の部分です。
瀬織津姫が登場するまでが長いので内容を要約すると
天孫降臨以降、様々な罪な罪が生まれます。
だから天上から伝わる儀式で祝詞を宣読しなさい。
そうしたら天上の神々は高い山、低い山の雲を掻き分けて聞き入れてくれるだろう。
罪消滅の経路と神々の関与
瀬織津比咩がもろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。
速開津比咩 (ハヤアキツヒメ)が 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを呑み込む。
気吹戸主 (イブキドヌシ)は 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して地底の闇黒の世界に息吹を放つ
速佐須良比咩 (ハヤサスラヒメ)は地底の闇黒の世界に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
このようにすれば罪は一切無くなるだろう。
だから六月の晦日に実施される大祓の儀に参集した皆の者ら、よく拝聴せよ。
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このように、瀬織津姫は祓戸大神 (ハラエドのオオカミ)の一柱として登場します。
祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味です。
瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といいます。
瀬織津姫が「古事記」や「日本書紀」に登場しない理由
瀬織津姫は祓えの儀式にも登場する上、水の神です。
古くから信仰されてきたと思われる神なのに「古事記」「日本書紀」に登場しません。
瀬織津姫が「古事記」「日本書紀」に書かれていない理由としてよく語られているのが、
「持統天皇が意図的に封印した」という説です。
詳しく説明すると、、、
「古事記」は天武天皇の命によって編纂されました。
天武天皇の死後即位した(天武天皇の妻)持統天皇は女性である自分(や孫の聖武天皇)の正当性を示すため、記紀の内容を歪めさせたというのです。
それまで男性神とされていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)を女神に仕立て、ご自分が天照大御神のモデルとなったのではないか
と解釈する説です。
しかし、男神であった天照大御神には妻がいました。
それが瀬織津姫です。
天照大御神を女神に変えるなら妻がいてはいけません。
そこで持統天皇は、記紀から瀬織津姫の存在を消すよう命じただけではなく、すべての神社に瀬織津姫を祀ることを禁じ、瀬織津姫の存在を徹底して隠したというのです。
これは長い間語り続けられている説です。
瀬織津姫の記述がある「ホツマツタヱ(秀真伝)」
「ホツマツタヱ」は漢字が渡来する前に神代文字の一つである「ホツマ文字(ヲシテ文字)」で書かれた全40巻の書物です。
「ホツマツタヱ」はいわゆる「古史古伝」のひとつで
偽書説(江戸時代ころに書かれたのではないか?)という説を唱える人が多い文献です。
しかし肯定派の研究者によれば、「古事記」「日本書紀」との内容比較から、成立時期はそれらよりも古く、記紀の「原書」であるとされています。
現存するものとしては江戸時代の安永4年 (1776年) に制作された書籍が最古の写本であり、それよりも古い写本は見つかっていません。
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「ホツマツタヱ」はこの国の始まりの物語ですが、
天照大御神は男神であり、瀬織津姫はその妻であったということが記されているのです。
瀬織津姫は「古事記」に出てくる八十禍津日神に当てたのでは?本居宣長説
瀬織津姫というお名前は「古事記」には登場しません。
しかし、瀬織津姫の役割(もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す)を担う神は必要です。
「古事記伝」を記した江戸時代の国学者の本居宣長は
瀬織津比売を八十禍津日神(ヤソマガツヒ・イザナキの垢から生まれた)に
速開都比売を伊豆能売(イズノメ・イザナキが禍を直す時に生まれた)に
気吹戸主を神直日神(カムナオヒ・イザナキが禍を直す時に生まれた)に
速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売(スセリビメ・大国主の妻)に当てています。
(「当てている」だけでその神と同一視されるほどのものではありません)
ヤソマガツヒ、イズノメ、カムナオヒはイザナキが黄泉の国から生還して禊を行なった時に生まれた神々です。
何らかの事情で「古事記」に載せられなかったけれど、役割を担う神を代わりに登場させたのではないかという説です。
瀬織津姫は天照大御神の荒魂か
荒魂 (アラタマ)とは神の荒々しい側面、荒ぶる魂のことです。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れです。
伊勢神宮には荒祭宮 (アラマツリノミヤ)があります。
殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。
祭神は天照大御神の荒御魂 (アラミタマ)。
創建は垂仁天皇の時代だといわれますが
わざわざ天照大御神を祀る本殿とは別の宮を荒魂のために建てているのが興味深いですね。
しかも荒祭宮は伊勢神宮の中の10ある別宮で月読宮や風日折宮や倭姫宮よりも社殿が大きく、第一位とされています。
『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は荒祭宮祭神天照大御神の荒御魂の別名として瀬織津姫と八十禍津日神を記しています。
瀬織津姫は雷の神か
「セオリツ」はタミル語の稲妻に対応する。
瀬織津姫は「稲妻の姫」という意味である。
そうであれば荒魂であるに相応しい。
(中略)
雷神の働きによって一切の罪は消滅することになる。
罪を消すのであればそれなりのパワーが必要であろう。
「よみがえる大野 日本語🟰タミル語接触語源説」
田中孝顕著より引用
大野晋先生の説によれば、瀬織津姫が雷の力で罪を大海原へ持ち来ると
速開津比咩 (ハヤアキツヒメ)が飲み込む。
「ハヤ」はタミル語で凶暴な
「アキツ」は蛇
つまり速開津比咩 (ハヤアキツヒメ)は「凶暴な蛇姫」。
海で罪を全て飲み込むイメージが湧き、大野先生の説も一理あるように感じます。
まとめると、、、
瀬織津姫について考えると共に、瀬織津姫の扱われ方をまとめてみました。
恐らく
・瀬織津姫は古代から親しまれていた女神だった
・水や滝、雷の力で罪や穢れを流していた
・「古事記」や「日本書紀」の編纂時に存在が消されてしまった
・でも「古事記」編纂より古い祝詞や神社に存在していた証が残っている、、、
瀬織津姫に関してはもっとたくさんの説がありますが、私が納得するものだけ集めてみました。
「ホツマツタヱ」の真偽はまだ決着がついていません。
でも、天武天皇や持統天皇、藤原不比等が関与しない真の古史古伝書だとしたら、日本神話が大きく変わりそうですね。
ちなみに、、、
「古事記」と「日本書紀」に書かれていない代表的なものは富士山です。
「ホツマツタヱ」には記述が、、、、あります。