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豊雲野神(トヨクモノノカミ)は造化三神の次に出現する神世七代の一柱です。
神奈川県にある比々多神社(ヒビタ神社)では一万年以上前から豊雲野神を信仰していたと見られます。
少なくとも神武天皇の時代には豊雲野神を祀っていたことがわかっており、豊雲野神は縄文時代からの神だと推測されます。
「古事記」における豊雲野神(トヨクモノノカミ)
豊雲野神は神世七代の2番目にいらっしゃいます。
古事記の「天地の創成」全文の読み解きは
「古事記」における国之常立神 御岩神社に行ってきました
をご参照ください。
まず出現!別天津神(コトアマツカミ)
「古事記」では天と地とが初めて分かれて開闢の時に、造化三神と呼ばれる天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)が高天原に現れ出て姿を消します。
その後宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)が出現し姿を消します。
ここまでを別天津神と呼びます。
次に神世七代(カミヨナナヨ)! ここに豊雲野神が登場します
別天津神の後に国之常立(クニノトコタチ)が出現、その次に豊雲野神が出現します。
「古事記」では豊雲野神は配偶神のいない(性別のない)最後の独神で、別天津神と同様に身を隠したとされます。
神世七代は天之常立神(アメノトコタチ・別天津神の最後の神) までに成立させた「天の礎」の後に「国の礎」を成立させた神々と考えることができます。
豊雲野神は国之常立(クニノトコタチ)が造った大地の基盤を潤す雨をもたらす雲のように豊潤な生成を促す神と考えられます。
豊雲野神とはどんな神か
豊雲野神をお名前から考える (2つの説があります)
①「豊」、、、豊かな
「雲」、、、雲
として豊かな雲という意味で雲を神格化した神である。
②「豊」、、、豊かな
「雲野」、、雲が覆う野
として雲に覆われた豊かな野と解釈する。
「豊」という字が雲にかかるか野にかかるかの解釈の違いはありますが
いずれにしても豊潤な生成をもたらす神と理解していいでしょう。
身を隠した(隠身也)とはどういうことか
「古事記」には最初に出現する天之御中主(アメノミナカヌシ)から豊雲野神までは出現してすぐに身を隠したと書かれています。
身を隠すとはどういうことでしょうか。
これにも幾つかの説があります。
・身体を持たない抽象神だった
・神々の顕現する世界から幽界に退場することを表すとして、顕界の神々に対してその権威を譲渡し、姿を見せずに司令や託宣などの形で関わるようになった
・天照大御神の権威の絶対性を確保するために天地の始まりの神々の権威を押さえた
などの説がありますが、豊雲野神については比較的想像しやすい神と言えるかもしれません。
日本書紀におけるトヨクモノノカミ
「日本書紀」では神世七代の豊斟渟尊(トヨクムヌ)として登場します。天と地が分かれた後、葦牙(あしかび)のようなものから国之常立尊(クニノトコタチ)、国狭槌尊(クニノホサヅチ)に続いて出現した男神とされます。
・山・野の神と捉える説
・地上から突き出て天空に接する所(山頂や崖)の神
と捉える説などがあります。
水が豊かの葦原の原型を連想させつつ、豊富な水による植物の生長や未来の生産の豊穣を想像させる点で共通しているので同一神と見られますが、(国之常立と同様に)男性と明記されているのが「古事記」との相違点です。
終わりに
豊雲野神はその意味から考えても(「古事記」で最初に出現したとされる) 天之御中主(アメノミナカヌシ)よりはるか昔から信仰されていたと考えられます。
学問の神様や武運の神様と違って、祀る神社やお参りする人も少ないのですが戦国時代に活躍した相模三浦氏は豊雲野神を信仰していたそうです。
豊潤な大地を表す日本人の原初神の一柱である豊雲野神、雲を見る時に時々思い出してくれると嬉しいです。
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